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2016年1月7日木曜日

【WiLL】靖国神社に周恩来も参拝

WiLL2015年2月号P167~P168 私と靖国神社 日本人の「祈り」の場所 湯浅博 産経新聞特別記者 より

月刊WiLL (ウィル) 2015年 02月号 [雑誌]

周恩来も参拝

しかし、戦後日本の教育や言論界では、古いことは悪く、靖国神社はその象徴とされてきた。冷戦が終わり、ソ連が崩壊しても、そうした考え方は一部で変わらずに生き延びている。

二〇〇四年五月四日付の朝日新聞社説は、「遊就館を訪れてみては」と神社に付随する博物館を論評し、「当時の日本から見た敵国への憎悪や世界の姿があるだけだ」と告発した。「遊就館」は明治十五年に創設され、数年前に新館が建て直された。それまでの遺影や遺品だけの陳列から、新館では歴史を客観的に伝える努力が払われている。

だがよく見ると、当時の新聞の見出しや陳列品から、当の朝日が進軍ラッパのように報じていた足取りが分かってしまう。

掲示されている昭和十二年十二月二十日付朝日は、「平和甦る南京、皇軍を迎えて歓喜沸く」と南京陥落の様子を伝えている。当時の日本軍の賛歌がまず先にくる朝日得意の「演繹法」である。戦後は一転して靖国否定を前提とする演繹法だから、自己矛盾には真っ先に目をつむりたくなるものらしい。

しかし、英霊に対する鎮魂の情はそんな小細工にお構いなしである。日本人はもちろんのこと、英米仏の軍人たちも恩讐を超えて靖国参拝に訪れる。年間参拝者は内外合せて五百万人を超えるという。

大正期に東京に留学していた十九歳の周恩来青年も靖国神社に足を運んでいることを、坪内祐三氏の著作『靖国』で知った。

「夜、九段をぶらぶらしていると、靖国神社の大祭に出会い、それを見てはなはだ感慨を催す」(『十九歳の東京日記』)

毛沢東の下で長く首相を務めることになる若き周の素直な感性であろう。日記には周が、靖国に何度も訪れていることが書かれている。いまの中国要人に、周のように「感慨を催す」ような人物はいるはずもなかろう。中国がなお執拗な反日教育を奨励して休む暇がないからだ。

習近平国家主席にも、一度、靖国参拝をお勧めしたい。もっとも、それを試す余裕も勇気も、いまの習主席にはないだろうが。




周恩来『十九歳の東京日記』―1918.1.1~12.23 (小学館文庫)
周恩来『十九歳の東京日記』―1918.1.1~12.23 (小学館文庫)

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