天皇陛下の御誕生日を迎えられ心よりお祝い申し上げます。
天皇陛下会見全文
天皇陛下の記者会見の全文は次の通り。
-1年を振り返って印象的な出来事を聞かせてください。
今年は2月に心臓の手術を受け、多くの人々に心配を掛けました。誕生日に当たり、当時記帳に訪れてくれた人々をはじめ、今も私の健康を気遣ってくれている多くの人々に対し感謝の気持ちを伝えたく思います。
東日本大震災から1年9カ月がたち、被災地に再び厳しい冬が巡ってきています。放射能汚染によりかつて住んでいた所に戻れない人々、雪の積もる仮設住宅で2度目の冬を過ごさなければならない人々など被災者のことが深く案じられます。震災時の死者行方不明者数は1万8千人余と報じられましたが、その後、2千人以上の震災関連の死者が生じたため、犠牲者は2万人を超えました。地震や津波を生き抜いた人々が厳しい生活環境下、医療などが十分に行き届かない状況の中で亡くなったことは誠にいたわしいことと感じています。また、被災地の復興には放射能汚染の除去や、人体に有害な影響を与える石綿が含まれるがれきの撤去など、危険と向き合った作業が行われなければならず、作業に携わる人々の健康が心配です。放射能汚染の除去の様子は福島県の川内村で見ましたが、屋根に上がって汚染を水流で除去するなど十分に気を付けないと事故が起こり得る作業のように思いました。安全に作業が進められるよう切に願っています。
社会の問題として心配されることは、高齢化が進んでいることであります。特に都市から離れた地方では大変深刻な問題になっていると思います。平成23(2011)年度の冬季の雪による死者は130人以上に達し、多くが除雪作業中の高齢者でした。私自身近年、山道を歩くとき転びやすくなっていることを感じているので、高齢者が雪国で安全に住めるような状況がつくられていくことを切に願っています。若いときには高齢のため転びやすくなることなど考えてもみませんでした。
1年を振り返るとさまざまなことがあった年でした。明るいニュースとしてはロンドンオリンピック、ロンドンパラリンピックでの日本選手の活躍が挙げられます。ロンドンオリンピックで日本が獲得したメダル数は、これまでのオリンピックの中で最多でした。また、ロンドンパラリンピックでは、車いすテニスの国枝(慎吾)選手がシングルスで北京大会に続いて2連覇を達成するなど日本の選手はさまざまな分野で活躍しました。金メダルを取ったゴールボールの試合も映像で楽しく見ました。研ぎ澄まされた感覚でボールを防ぐ姿には深い感動を覚えました。脊髄損傷者の治療として英国で始められた身体障害者スポーツが、今日ではすっかりスポーツとして認められるようになったことに感慨を覚えます。
山中伸弥教授のノーベル医学生理学賞受賞も誠にうれしいニュースでした。特に再生医療に結び付く大きな成果は、今後多くの人々に幸せをもたらすものとなることと期待しています。
今年は英国女王陛下の即位60周年に当たり、ご招待を受け、私も皇后とともに行事に出席いたしました。この行事には各国の君主が招待されましたが、戴冠式とこのたびの60周年のお祝いに重ねて出席できたのはベルギーの国王陛下と私の2人で、戴冠式の時は18歳と19歳でした。若くして臨んだ戴冠式でのさまざまな経験が懐かしく思い起こされます。
-心臓のバイパス手術をめぐるエピソードを教えてください。
手術の後はその影響があり、テニスをしても走って球を打つという何でもない動作がうまくいきませんでしたが、最近は以前のように球を打てるようになったような気がしています。リハビリテーションというものが実に重要なものだと感じています。農業や漁業で体を動かして仕事をしている高齢者が被災生活で体を動かさなくなったときに体を壊すという話が実感されました。心臓の病気は検査で知りました。手術を受けることを決めたのは、心筋梗塞の危険を指摘されたからでした。時期については、東日本大震災1周年追悼式に出席したいという希望をお話しし、それに間に合うように手術を行っていただきました。手術が成功したことを聞いたときは本当にうれしく感じました。執刀をされた天野(篤)順天堂大学教授をはじめ、この手術に携わった関係者に深く感謝しています。体調管理としては筋力を衰えないようにすることが大事だと考え、これまで通り早朝の散歩を続けるほか、できるだけ体を使う運動に努めています。入院中、皇后は毎日病院に見舞いに来てくれ、本当に心強く、慰めになりました。手術後のリハビリテーションの一環として病室の近くの廊下を一緒に歩く時にはいろいろな音楽をかけてくれ、自分も楽しそうに歩いていました。家族の皆がそれぞれに心を使ってくれていることをうれしく思っています。
-公務の負担軽減が必要との指摘があります。皇族との役割分担をどのように考えていますか。
天皇の務めには日本国憲法によって定められた国事行為のほかに、天皇の象徴という立場から見て、公的に関わることがふさわしいと考えられる象徴的な行為という務めがあると考えられます。毎年出席している全国植樹祭や日本学士院授賞式などがそれに当たります。いずれも昭和天皇は80歳を超しても続けていらっしゃいました。負担の軽減は公的行事の場合、公平の原則を踏まえてしなければならないので、十分に考えてしなくてはいけません。今のところしばらくはこのままでいきたいと考えています。私が病気になったときには、昨年のように皇太子と秋篠宮が代わりを務めてくれますから、その点は何も心配はなく、心強く思っています。
-沖縄訪問の感想を聞かせてください。
8年ぶりに沖縄県を訪問したわけですけれども、今度行きました所は今までに行ったことのない所が含まれています。沖縄科学技術大学院大学ですね、(以前に)恩納村には行きましたけれどもそこは行きませんでしたし、万座毛も初めてでした。それから久米島がやはり初めての所です。戦没者墓苑は、これは毎回お参りすることにしています。そのようなわけで毎回お参りしている所と新しい所があって、沖縄に対する理解がさらに深まったように思っています。万座毛という所は歴史的にも琉歌で歌われたりしていまして、そこを訪問できたことは印象に残ることでした。殊に恩納岳もよく見えましたね。久米島の深層水研究所も久米島としては水産上、重要な所ではないかと思っています。多くの沖縄の人々に迎えられたことも心に残ることでした。
沖縄はいろいろな問題で苦労が多いことと察しています。その苦労があるだけに日本全体の人が、皆で沖縄の人々の苦労をしている面を考えていくということが大事ではないかと思っています。地上戦であれだけ大勢の人々が亡くなったことは、ほかの地域ではないわけです。そのことなどもだんだん時がたつと忘れられていくということが心配されます。やはり、これまでの戦争で沖縄の人々の被った災難というものは、日本人全体で分かち合うということが大切ではないかと思っています。
再掲
ジミーと呼ばれた天皇陛下 (幻冬舎文庫)
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