で、いつもの東海新報社正論社説をどぞ。
元日に外へ出てみてふと目を疑ったのは、日の丸が極端に少ないことだった。大震災で家そのものが少なくなったせいもあるにせよ、日本人の意識自体が大きく変化していることはまぎれもない。民族の精神的な紐帯が薄れていくその先には何が待ち受けているのだろうか
▼国旗、国歌に対する敬愛の念がもはや紙のように薄くなっている事実を抜きに冒頭の光景を論じることはできないが、では国のシンボルに対する意識が国民の間にすっかり根をおろすという事態が再び訪れることはあるだろうか、となると否定的にならざるを得ない。オリンピックはじめスポーツの国際大会で金メダルを取った時こそ掲揚され歌われても、それでおしまいという「冷遇」が改まるのは期待薄というものである
▼しかし祝日に日の丸を掲げてその意義を考え祝うという形式は、それが単なる形式にしろ社会構成に必要な精神的共通項を確認するという意味で、決して形式のみにはとどまるまい。だが、そのような価値判断は現代において等閑に付され、逆に国旗、国歌は軍国主義時代との関係で悪しき存在と扱われる思想が蔓延した
▼それはまさに日教組主導の民主化教育が成功した結果であり、事実、国旗、国歌に対するアレルギーをこれほど示す国民もあるまい。しかし国あってこその国民であり、そのシンボルに敬意を表すことになんの問題があるだろうか
▼日の丸を掲げると右翼とみなされる時代は過去とし、もっと素直に向かい合って何の不都合があろうかと考える次第。
地域にもよるだろうから、一概には言えないだろうが家に国旗は確かに減った希ガス。
祝日の意義を考えれば、「山の日」を制定しようなんて出ないと思うね。
日教組はもちろんだが、GHQに関わった連中が一番ビックリしてんじゃないか?
日本に生まれてよかったっていつも思うよ。
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