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2013年8月11日日曜日

【朝日新聞社】朝日史上初の社長と主筆を兼務し全権力を掌握した広岡知男氏

歴史通2012年7月号『大陸に沈む「朝日」「朱」に染まる「主筆」の愚挙!』
佐々淳行元内閣安全保障室長と本郷美則時事評論家の対談P136より。


本郷: 一転、風向きが変わるのがレッドパージでしたね。朝鮮半島と中国大陸での共産勢力の拡大で、GHQも日本の左傾化を食い止めようと方針転換をします。共産党員や共産党への協力者は職を追われますが、NHKが百十九人、朝日はこれに次いで百七人がパージされます。ところが朝日では、左翼的でないと出世できないような社風が染み付いてしまいました。そのリーダー格が森恭三と広岡知男です。
先述のように朝日史上初めて社長と主筆を兼務するのですが、全権力を掌握してやったことは、”中国べったり報道”でした。
彼が社長に就任して間もなく、中国では文化大革命(文革)の嵐が吹き始めました。それまで朝日は野上正・北京市局長がいて、鋭い観察眼で公正な記事を送ってきていましたが、それを秋岡家栄(いえしげ)記者に替えます。秋岡は広岡の股肱の臣です。当時、中国は気に入らない特派員を次々に国外追放していました。朝日は日本のマスコミで唯一、この追放から免れました。それは中国共産党の提灯記事だけ出していたからです。実際、広岡氏は、「中国がいやがるような記事は書くな」と指示を出します。その結果、一九七一年九月の林彪事件に見て見ぬフリを決め込み、林彪のモンゴルでの墜落死も報道しないという失態を演じます。

佐々: 当時、僕は香港にいました。台湾特務から得た林彪事件とモンゴルでの飛行機墜落を外務省に伝えたところ、「それは台湾特務が流しているデマだ。そんな奴とつきあっている君が問題だ。君は台湾特務の手先か」と散々叱られました。半年くらいして、ようやくこの情報が本当だったことが分かって、わが名誉は回復しましたが(笑)

本郷: いったいなぜ、広岡社長はこれほど中国に傾斜したのか。実は、彼の死後、刊行された取り巻きたちの追悼文集『追想 広岡知男』をみて「ハハン」と思いました。この中に、日中国交回復の時に北京を訪問した帰りに広東に立ち寄った広岡社長のことが書かれていました。彼は広東の空港で、お供していた秋岡記者に車を準備させて近郊をドライブし、「実は私の祖先はこの出身なんだ」と言ったそうです。これで広岡氏が熱心に日中友好の旗振りをした理由が分かるような気がしました。

共産党員や共産党への協力者は職を追われますが、NHKが百十九人、朝日はこれに次いで百七人がパージされます。>もともとNHKや朝日には中共寄りのDNAが流れているんだね。

広岡氏は、「中国がいやがるような記事は書くな」と指示を出します。>今も伝統を引き継いでますか?w

台湾特務から得た林彪事件とモンゴルでの飛行機墜落を外務省に伝えたところ、「それは台湾特務が流しているデマだ。そんな奴とつきあっている君が問題だ。君は台湾特務の手先か」と散々叱られました。>当時の外務省は朝日がソース?(アララ

「実は私の祖先はこの出身なんだ」と言ったそうです。これで広岡氏が熱心に日中友好の旗振りをした理由が分かるような気がしました。>従軍慰安婦捏造記事にしかり、朝日は私情で日本国に迷惑をかけるんだね。





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