実話時代2013年6月号(P55~P56引用)に、故津村和磨氏が国旗・国歌について語ったものが掲載されていた。
世界にいくつ国があるか知らんが、国旗や国歌のない国はないやろ。
旗や歌があるのはなにも国だけやないで。社会は大小さまざまの集団でできてるわけやが、小は家から大は国連にいたるまで、まとまりのシンボルいうものがなにかあるのが常識や。
家にも家紋いうものがあって、日本人の正装は本来、家紋の入った紋付や。学校にだって校旗と校歌があって、たとえば高校野球で勝っても校歌の斉唱と校旗掲揚をやるやないか。君が代と日の丸に反対の学校では式のときにどないしてんのや?まさか日の丸はいかんが校旗はかまわん、君が代はダメやが校歌はよろしい、いうことやないやろな?それやったら日本に学校開いてんのがまちがいやよって、ロシアでも中国でも、好きなところへ引っ越したらええんや。
日の丸のどこがわるいんや?白地に赤丸を染め抜いて、万国旗を見わたしてもこれ以上シンプルな旗はないやろ。これは聖徳太子の言うた「日出づる処」をデザインしたものやろが、お日さまがわるいいうたらこの世にええもんはなくなるし、赤はきらいやいう人がおるかもしれんが、それまで取ってしもたらただの白旗や。まさか白旗揚げて「我が国の国旗です」いうわけにもいかんやろ(笑)
君が代かて同じや。悠長な雅楽調で平和そのものの曲やし、歌詞かて、「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」三十一文字に字余り一つ、簡素きわまりない。石だの苔だのが出てくる国歌もめずらしいと思うが、内容は要するに「君が代は永遠なり」だけやねん。どこがわるいんや?
天皇制反対?それと国歌とは別の問題やろ。今の日本の憲法では天皇は日本国と日本国民統合の象徴ということなんやから、国歌に「君が代は永遠なり」と歌ってわるい理由はどこにもない。天皇制反対を唱えるのは勝手やが、もし国民の総意がそうなら憲法を改正して、その時点で国歌も替えたらええんや。アメリカには天皇も王様もおらんから、国歌も「星条旗よ永遠なれ」やな。星条旗に反対やから国歌を歌わんいうアメリカ人がおったら、アホとちゃうか思うやろ。それと同じことやないんか?
言うまでもないが、集団の旗を揚げたり歌を歌ったりするのは帰属意識ちゃうか、自分らはこの集団の一員であるという自覚を確認するためや。それに反対するいうことは、集団の一員でありたくないいうことやろ。君が代を歌わせるなということは、正味、子どもらに国民としての自覚をもたせるなと言うてんのと同じや。
ほんまにそれでええのんか?
ズバリGHQの手先となった日教組やマスコミ関係者に読ませたい内容である。
私たちの美しい日の丸・君が代―子供たちに伝える国旗・国歌物語
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