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2015年9月9日水曜日

【WiLL】詩には別材あり。書に関わるにあらず。詩には別趣あり。理に関わるにあらず。

WiLL2014年11月号P18~P19 朝四暮三より

月刊WiLL (ウィル) 2014年 11月号 [雑誌]

三個月前の七月一日、集団的自衛権が閣議決定された。それ以前の約半年、朝日新聞や毎日新聞などが中心となって反対運動をしていた、連日。その際、さまざまな方面の人に反対論を述べさせていた。共通点は一つ-日本は戦争に巻きこまれ、若者は死んでいゆく、これであった。

しかし、七月一日から三個月も経ったのに、日本はまだ戦争に巻きこまれていない。いつになったら戦争になるのですか。半年先ですか、五年先ですか、十年先ですか、答えられないではないか。

それは無責任というものである。大声のあの反対論は、単なるアジテーションということになる。感情論、いや論などではない。感情絶叫にすぎない。その絶叫運動に使われた連中から二人を選んで取りあげてみよう。

まず一人は、新右翼団体とやらの一水会の鈴木邦男・顧問。この人物について私はなにも知らないが、今年三月一日付毎日新聞・同七月十八日付朝日新聞に載っているインタビュー記事を読んだ。

曰く、「中国や韓国に意図的にけんかを売って反感を導き出し、求心力を高めようと利用している感じがする」と政府批判。驚いた。逆ではないか。「中国や韓国に」ではなくて、「中国や韓国が」ではないのか。仮に百歩譲ったとしても、「けんか」とは具体的に何を指すのか。おそらく尖閣諸島の国有地化を念頭に置いての発言であろう。

しかし、それをしたのは、民主党の野田政権である。とすると、けんか仲間の民主党が安倍政権の集団的自衛権の閣議決定に反対するのはなぜなのか。整合性のある説明を鈴木某はすべきである。できるのか。

一方、米国に押し付けられた憲法は「きちんと見直すべき」と言いながら、「今の政府で改正すればもっともっと不自由になり、国民を縛る憲法になる」と左翼顔負けの護憲の上、なんと「自由のない自主憲法になるよりは自由のある押し付け憲法の方がいい。形じゃない」と来た。右翼ももう終わりである。

もう一人は、なかにし礼という作家・作詩家。「作詞家」という名称はあるが、「作詩家」とは初めて目にした。そうか、詩才ある詩人は<詩を書く>が、才能のない者はこねくりまわして<詩を作る>ので作詩家か。事実、その通りで、なかにし某が集団的自衛権の閣議決定に反対して<作った詩>「平和の申し子たちへ-泣きながら抵抗を始めよう」(七月十五日付毎日新聞)なる代物は、アジビラ調で人の心を打つ句は一つもなく、根本的に言って詩の体をなしていない。

第一、法治国家としての三権分立の意味すら分かっていない。「平和憲法は粉砕された……こんな憲法違反にたいして最高裁はなんの文句も言わない」と来た。冗談ではない。訴訟の第三審が最高裁なのであって、例えばなかにし某が地裁にまず訴えるのが筋。最高裁(司法)が内閣(行政)に対して、防犯カメラのように絶えず監視しているとでも思っているのか。

同詩の核心は「若き友たちよ!/君は戦場に行ってはならない/なぜなら……平和しかしらないんだ/平和の申し子なんだ……たとえ国家といえども/俺の人生にかまわないでくれ……俺は平和が好きなんだ/それのどこが悪い?……泣きながら抵抗を始めよう……平和のために!」である。気は確かかと言いたい。外国が日本を侵略してきたとき、泣きながら平和平和と唱えるのか。詩中のその<抵抗>も、だれが何に対してなのか、なにも記していない。ただ泣けと言うだけである。まったくわけの分からない雑文である。

なかにし某に詩才はない。お座敷がかかると引き受けるチンドン屋みたいなものである。厚化粧のチンドン屋は騒ぎながら通りすぎて消えてゆく。古人曰く、「[秀]詩には別材(格別の才)あり。書(知識)に関わるにあらず。詩には別趣あり。理に関わるにあらず」と。

一年経った今では、昨年より煽りがひどい。

本当に自立した国家を望まないのがいるのが不思議。




滄浪詩話 (中国古典新書)
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