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2012年2月22日水曜日

【竹島の日】標柱を引き抜いた輩に何の遠慮がいるものか

民主党政権以前も、政府関係者は誰も出席していない「竹島の日」式典。

国会議員の皆さん、こんな写真があるのはご存じ?

(竹島の島根県標識を引っこ抜く朝鮮人)


一方、竹島が属する島根県隠岐の島町の松田和久町長は21日、竹島問題を所管する政府組織を設けることなどを求める要望書を首相官邸で藤村氏に渡した。藤村氏は「よい提案だ。十分検討したい」と応じた。

どうせ、検討もしないだろ。

1953年の朝日新聞報道


朝日新聞 1953年10月18日
領土標柱また消える 竹島 辻代議士らが調査
内閣委員辻政信代議士、外務省川上事務官、第八管区海上保安本部・古森公安課長らは問題の竹島を調査のために境海上保安部巡視船"ながら"(270トン)に乗って17日午前零時ごろ鳥取県境港を出発、同正午ごろ竹島に300メートルくらいの所まで接近したが、シケのため上陸できず、約一時間にわたって同島を視察したのち、十八日午前五時すぎ境港に帰港した。

辻代議士は「竹島問題も李ライン問題も完全に日本の敗北だ」と次のように語った。 「今回の現地視察は国会の代表としてであるが、竹島には人影はなかった。境海上保安部"へくら"が去る6日、3度目に立てた日本領土標柱は抜き去られ、東島の頂上と中腹に板またはブリキで造られたと見られる韓国の旗が立てられていた。また西島には赤と白の観測用ポール二本立てられたままになっており、韓国側は最近大がかりな調査を行ったものと思われる。外交折衝をいくらやっても現地ではそう簡単には片付かない。結局力なくしては外交折衝もだめだということになる。現在の問題天は竹島の価値よりも、日本が世界に自国領土であると宣言した竹島を韓国が実力をもって奪ったことだ。今後、海上防衛の重点を西日本、特に日本海岸におき、侵略を実力をもって防ぎ、日本を守らねばならない。早速国会に報告し日本国民に現状を訴えたい。」


朝日新聞 1953年10月23日
日韓会談決裂後の二十一日、対馬暖流を調査中の島根県水産試験船島根丸は竹島を訪れ、記者は同島に上陸、東島南側の砂砂利で去る十五日、韓国が立てた標石を発見した。長さ一メートル七○の「独島遭難漁民慰霊碑」で、米軍の誤爆によって同島に出漁中の韓国人十四人が死亡、または行方不明となった霊を慰めるために同国慶尚北道知事が立てたものだ。碑の左側の岩の上にコンクリートで固めた五〇センチ、横二〇センチ、高さ二五センチの御影石の標石を発見、石の表には「独島LIANCOURT」と刻まれており、1952年8月15日韓国アルペン協会が同島を訪れたのを記念し、去る15日建立したもので、日本側で立てた標柱のかわりに韓国領土であることを示したものと思われる。韓国調査団が訪れて間もないものとみえ、米国製煙草のすいがらや、空箱、フィルム箱、赤白の測量ボールなどがところどころに散在していた。東島の頂上には四本の測量ポールが立っていた。「島根県隠岐郡五箇村竹島」の標柱は引き抜かれたらしく、どこにも見当たらなかった。


朝日新聞 1953年10月25日
竹島に日本の標柱 これで四度目
日韓領土問題波紋を投げている竹島に、去る15日、韓国側は日英韓語で「独島」と刻んだ大理石の標石を建て、また7ヵ所に測量用ポール7本を設けたが、舞鶴第八管区海上保安本部では去る21日夜、境海上保安部所属"ながら"、浜田保安部所属"のしろ"(いずれも270トン)の2巡視船を派遣、同島に4度目の「島根県隠岐郡五箇村」と記した日本領土としての地名と「韓国人の出漁は不法漁業である」との注意書の標柱を2本立てた。 2巡視船は乗務員は二十二日午前8時同島に上陸、韓国側の設けた「独島」の標石、観測用ポール6本を引き抜いた。





いまこそ日本人が知っておくべき「領土問題」の真実 国益を守る「国家の盾」
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