伏竜特別攻撃隊とは何かを知るためにWikiより一部引用。
本土決戦では、まず特攻機が米軍の機動部隊に体当たりし、輸送艦などが接近すれば人間魚雷回天や特攻艇震洋などの水上特攻部隊が迎撃。そして上陸用舟艇を水際で迎撃するのが伏龍という構想であった。
潜水缶は伏龍の最大の欠陥部分であった。これは長時間の潜水を可能にするために考案された、半循環式の酸素供給機であった。呼気に含まれる二酸化炭素を、苛性ソーダを利用した吸収缶で除去、再び吸入する方式である。吸収缶には潜水艦用のものが転用された。実験では5時間という長時間の潜水を実現し、他の潜水具に見られる呼気からの気泡を生じないという利点があった。しかし、吸収缶が破れたり蛇管が外れたりして呼吸回路に海水が入ると、吸収缶の水酸化ナトリウムと海水は激しく反応し、水和熱で沸騰した強アルカリが潜水兜内に噴出し肺を焼いた。きわめて危険なシステムで、訓練中に横須賀だけで10名の殉職者を出している。また訓練期間中に空襲を受け、訓練生および教官のうち281名が死亡している。
この伏竜特別攻撃隊に配属されていた一人が、横井秀樹襲撃事件の首謀者で、堅気になってからは映画俳優やプロデューサーとして活躍している安藤昇氏。
氏が実話時代BULL3月号に書かれている「我、死にそこねて候」に感じる部分があったので引用して記録。
知識人の間にも、戦時中はこの戦争を聖戦として賛美し、敗戦となると掌を返すように戦争を呪う者も数多くいた。
あたかもこの戦争が、一部軍人の意思によってなされたように言われ、またそう思い込んでいる者が多いが、ほとんどは大多数国民の積極的な賛同と支持のもとになされたことは事実である。
国民をそこまで導いていった責任はもちろん軍部とこれに便乗した政治家、学者、思想家にある。
それは初めは強制に近い形で引きずり、異分子に対しては合法、非合法の威嚇手段が行われたことは言うまでもないが、後には国民の大部分が、これに自発的に協力したのである。
戦時中の町会や隣組の活動にも、単なる強制では植えつけられない熱気があったことも事実だった。
戦前にA(アメリカ)B(イギリス)C(支那)D(オランダ)ラインの経済封鎖を喰った日本経済が、どんな立場に置かれたか、思えば明白なことである。
とにかく戦は勝てば官軍である。
官軍は常に正しい。
戦争の正邪は後世の史家の判断に委せるより仕方がない。
だが、歴史は常に強者の歴史であるから、正邪善悪の判断もいつしか曖昧模糊ということになっていく。
いまさら何を言ってもはじまらない。とにかく日本が戦争に敗れたのは歴史的事実である。
人間機雷「伏龍」特攻隊 瀬口 晴義 by G-Tools |
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