
- 1
【エンタメ】日本国民の選挙の結果なんだけどね2020-09-16 久し振りに見た名前。 「畑中葉子」 「日本は与党のものじゃない。」と、呟いているが、野党のものでもないんだな~、これが。 それに、与野党関係なく選挙という洗礼を受けて議員をしている。 わかってんの...
- 2
【福岡】職質のため乗用車を停止させたところ40代女のバッグから拳銃と実弾7発を発見2020-10-19治安維持に日夜活躍している現場の警察官に感謝。 【社会】職務質問の車に拳銃と実弾。運転していた40代の女と知人の70代の男を逮捕。福岡市 [記憶たどり。★] 引用元:https://ai.2ch.s...
- 3
【立憲民主党】学校の一斉休校と再開に文句を垂れてみる2020-03-242月27日の取材で。 政府の全国小中高校などの臨時休校要請に「現場の混乱を心配している。休校措置の根拠はどこにあるのか丁寧な説明を」と福山幹事長 - 立憲民主党 (転載元:Twitter) 3月2...
- 4
【蓮舫】人を叩いてストレス発散するなんて世界を作ってはいけない2020-05-25一番叩きまくっているのが蓮舫だと思うが。 見えない悪意に怯える怖さ。 繰り返される執拗な中傷誹謗。 どれだけ恐いか。よくわかります。 気にするな、スルーしろ、有名税、なんてものではありません。 人を...
- 5
【訃報】志村けん氏が武漢コロナウイルスに感染後死去2020-03-30大丈夫じゃなかった。 (転載元:映画.com) 志村けんさんが死去、新型コロナ感染で肺炎肺炎のため東京都内の病院に入院していた人気コメディアン、志村けん(しむら・けん、本名・康徳=やすのり)さんが亡...
- 6
【小沢一郎】菅首相の著書「政治家の覚悟」の削除部分って旧民主党に配慮してんじゃないの?2020-10-20 なんだか野党とマスコミが寄ってたかって、菅首相のイメージダウンを図っているような今日この頃。 で、小沢ンほど不要な政治家から言われるのは、首相は気分悪いんやないの? 【小沢一郎氏】 菅首相の政治姿...
2016年9月29日木曜日
【致知】スリランカと日本
「致知」掲載よりコピペ。
歴史が教えてくれる日本人の生き方

ことほぎ代表 白駒妃登美
歴史に学ぶ
感謝報恩に生きた偉人の物語
話は戦後に転じます。いまから七十一年前に終戦を迎えた日本は、昭和二十六年に締結されたサンフランシスコ講和条約によって主権を取り戻しました。しかし、約六年にわたるGHQ(連合国総司令部)の占領下に置かれた日本は、様々な統制のもとで贖罪意識を植えつけられ、その後遺症はいまも引き摺っていると言えるでしょう。
昭和三十年にインドネシアのバンドンで開かれたアジア・アフリカ会議においても、その影響は顕著でした。なぜなら、そのような国際会議に出ようものなら袋叩きに遭うだろうと恐れた日本側は、代表を派遣することを躊躇し、会議当日もぎりぎりまで会場に足を踏み入れようとしなかったのです。
ところが、どうでしょう。意を決して日本代表が会場に入ると、会場を埋めた各国代表がスタンディングオベーションで迎えてくれるではありませんか。確かに日本が戦争を行ったことで、傷ついた人々がいたことは事実です。その半面、日本が米英を相手に立ち上がったから、独立を果たせたと考え、日本に感謝してくれている人たちも多くいたことを、この歴史の一場面は物語っています。
ではサンフランシスコ講和会議はどうだったのかというと、連合国側の思惑が錯綜し、例えばソ連が日本の分割統治を要求するなど、日本に対していかなる制裁措置を取るかで議論は紛糾しました。そのような中、会議の流れを一変させる演説が行われたのです。
「憎悪は憎悪によって消え去るものではなく、ただ慈悲によって消え去るものである」
スリランカ代表のジャヤワルダナ氏は、仏陀の言葉を引用して国家間の礼節と寛容を説いた上で、次のように言葉を続けました。「アジアの諸国民が日本は自由でなければならないということに関心をもっているのは何故でありましょうか。それは日本とわれわれの長年の関係のためであり、そしてまた、アジア諸国の中で日本だけが強力で自由であり、日本を保護者にして盟友として見上げていた時に、アジアの諸国民が日本に対して抱いていた高い尊敬のためであります」。長年西洋諸国に虐げられてきたアジアの民にとって、大国ロシアを破り独立を守った日本は希望の星だったのです。
そしてジャヤワルダナ氏は、スリランカが一切の対日賠償請求権を放棄することを明言。演説が終わると、称賛の声の嵐で会場の窓のガラスが割れるほどだったそうです。これによって日本は特別な制裁を受けることなく、今日の平和を享受することができたのです。
日本が戦後初めて正式な国交を結んだ国は、スリランカです。後にそのスリランカの大統領となったジャヤワルダナ氏は、遺言に次のような一文を書き残しています。「自分はこれからもスリランカと日本という二つの国の行く末を見守りたい。だから、二つの目の角膜の一つをスリランカ人に、もう一つを日本人に移植してほしい」
この遺言どおり、片目の角膜は静岡県に住む女性に移植されました。後に国内で初めて角膜移植を推進する団体が生まれたのも、もとを辿れば彼のおかげなのです。
ところが日本とスリランカとの関係は、戦後、ほとんど語られることはありませんでした。かって吉田首相は、「スリランカへの恩を、日本人は未来永劫伝えなければならない」と言っているにもかかわらず、です。かくいう私も、こうした事実を知ったのはごく最近のことでした。それだけに、これからはスリランカに対して感謝の気持ちをきちんと伝えられる日本人でありたいと思っています。
致知9月号P26
歴史が教えてくれる日本人の生き方


登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿